日本画家 澁澤卿

2005年05月

名古屋松坂屋本店で先日開催されましたー画業30周年記念—澁澤卿展に月刊「美術の窓」の女流記者功刀知子女史がご来廊くださりその感想を記事にしてくださいました。功刀女史は昨年発行されました「−21世紀アートの発信基地—世界画から日本画へ」でも私の生い立ちや絵画感をすばらしい文章でまとめてくださいました。今回も分かりやすく的確に展覧会の総評を書いていただきました。ホームページにご訪問いただいた皆さんにぜひ読んでいただきたくて書き写しました。本当は、若くて綺麗な功刀女史に褒められて嬉しくなって自慢したかっただけかもしれません。文章を読んでそう感じた方はメールにてお叱りください。文章中の作品は「販売商品」欄の2005壁掛けカレンダー詳細に載っておりますので参考にしてください。

画業30周年記念 澁澤卿展

澁澤卿が50点近い新作群を発表した。ここのところ、澁澤作品はノッている。昨年の東美特別展も感心したが、今回の展示を見ても確実に画境が深まっていると感じた。

澁澤が用いる技法は新しい。日本画と言っても、支持体はすべてキャンバスである。そのため絵肌はがっちりとして堅牢で、力強い。岩絵具の接着剤として膠は一切使わず、アクリル樹脂を薄めて使っている。そのため、絵具に独特の風合いと密度が出ている。さらに忘れてはならないのは、澁澤作品の下層には必ず墨が使われていることだ。その墨の効果が、作品の奥行きに深味をもたらせているように思う。

今回の展示作品を見渡した時、まず色彩の美しさが目を引いた。しっとりとした気配を含み、いかにも湿潤な日本の空気感が表れている。満開の桜を描いた作品が数点あったが、いずれも、太陽の光に?然と輝く桜色ではない。薄墨色に支えられた淡いピンクは、シックで落ち着いている。太陽の下より曇天のグレーがかった空気の中での方が、色彩が美しく際立つことがある。澁澤の色にも、同様の美しさがある。澁澤は全ての色に、微量でも墨を混ぜて使う。ほんの少しでも墨が加わることで、たとえば桜の花の、透き通るような繊細さやしなやかさ、また儚さが表れてくる。微量の墨が、桜に息を吹き込み、桜の本質を浮かび上がらせるのである。

墨色の美しさと言えば、色数を極力抑えたモノトーンに近い作品が面白かった。たとえば「浄院幽翠」(2005年カレンダー7・8月掲載)。春から夏にかけてのシーズンだろう。樹々を彩る葉の色は新緑から進み、深みがかってコクがある。地面には苔の絨毯が敷かれ、木の根元のところどころでシダ植物が掌のごとき小さな葉を広げている。さらに木立の奥には、茅葺き屋根をのせた小さな庵がわずかに覗く。緑の諧調が、繊細で滑らかな韻律を刻んでいる。苔の緑などは、触ると温もりが伝わってくるような、深々とした感触がある。生命感のある清々しい緑の諧調には、猥雑な世俗から離れた場所の、聖なる空気が浸透している。思わず深呼吸をしたくなるような、清浄な空気感に満ちている。画家は風景の隅々を丹念に眺め、歩き、手で触るようにして描いている。そのことが、たとえば地面の微妙な起伏だとか、小川のカーブする動きからも伝わってくる。その場に招かれ、佇んでいるようなリアリティを感じる。緑の諧調が雑音をすべて吸収し、小川のせせらぎを際立たせるようだ。心に泌み入る深い静寂も、墨がもたらす効果のひとつだろう。墨と緑のモノトーンで言えば、「野趣溟々」(2005カレンダー5・6月掲載)も魅力的な作品だ。棚田の広がりに、雨がしきりに降っている。梅雨時の湿っぽさや雨の匂いが伝わってくる。山の端は煙って、白く霞んでいる。見ていると、全身雨に濡れたまま、ひたすら雨音を聞き入っているような感覚に陥り、自然と一体化したかのような不思議な安らぎが味わえる。

色彩の魅力について述べたが、構図の巧みさにも注目した。近景、中景、遠景の基本の骨組みがしっかりとおさえられて、鑑賞者の視線は無理なく絵の隅々を辿ることが出来る。特に筆者が好むのは、澁澤が描く道や橋である。まるで「この道を歩いてごらん」「この橋を渡ってきてごらん」という澁澤の朗らかな声が聞こえてくるような、不思議な吸引力が感じられる。中でも「浮光春彩」(2005カレンダー表紙掲載)の構図の巧みさは、特に光っていたと思う。水面に花びらの漂う手前の池の情景から、中腹のゆるやかな坂道、その向こうに広がる山の裾野まで、すべてが穏やかなリズムの中に連結して、のどかな春の光景が現れている。さらに見ていくと、種類の異なる大小の植物や樹木が、程良いバランスで画き込まれている。画家の美意識が、あらためて配置のバランスを決めているのだろうが、じつにナチュラルに馴染んでいる。自然界のすべてを慈しむような画家の優しい眼差しが、このような構図を引き寄せるのだろう。澁澤作品の中には、常にゆったりとした時間が流れている。日本人の愛すべき風景が、何の衒いもなく淡々と紡がれていることに、心のツボを押されているような、不思議な安息と幸福感をおぼえたのである。(知)